投書者file.016:中塚常

略歴

中塚常は、宮城県出身の士族。生没年不詳。1877(明治10)年の官員録に、青森県の警察官(10等警部)として記録されている。

投書

中塚常の投書は2件。いずれも民衆の「旧弊」に言及している。

『郵便報知新聞』1874年6月20日

1件目の投書は短いため、全文を引用する。

夫れ道路の修繕、橋梁の架渡は衆人の最冀望する所なり。
然るに福島県下を過しに、同所一流の川有り、降雨ありて水漲るの際、橋梁は未だ渡行成るべく、水嵩も深からざれば、歩渉(かちわたり)もなるべきを、里人の旧弊にて、兎角を唱へ、通行を止む。
其意中を察するに、他なし到底行旅の人を拘留し、擔肩(かはこし=川越しの意か)を倩(やと)はしめ、賃銭を釣らんとの巧みにして、往昔の大井川等に類似せり。
嚢日、彼所を過しに賤夫七八名にて右の所行あり。然れども余敢て諾せずして曰、公事に期限あり片時も欠き難しと、歩して該所を渡り、其県庁に具状を述べ置たれば、近日此弊止むべけれど、疾くに区戸長の注意なきはいぶかし。 宮城県下中塚常

福島県を通ったさい、雨で増水した川を渡ろうとすると、「里人」が「兎角」(=現実にありえないこと、この場合は渡ると危険といったことだろう)を述べ立てて足止めしようとする。「擔肩」(荷担ぎ)の賃銭を稼ごうという魂胆なのだ。先日も「大井川」で同じような目にあった云々という投書。

投書した中塚は、これを「里人の旧弊」としている。中塚は、この投書から少なくとも3年後には「警部」になっていることを考えると、体力に自信があり、自力で渡ることができると考えたのかもしれない。

しかし足止めしようとした「里人」からみれば、普通の人であれば危険という認識があった可能性もある。

そう考えると中塚の一方的な決めつけのようにも思われるが、この時期の文明開化全般が上からの押し付けという側面があり、新聞もその一翼を担っていたのだから、これは致し方ない。

『郵便報知新聞』1874年7月12日

前回の投書から3週間後に掲載された投書は、東京府下の「醜風俗」を咎める内容である。

余、公暇を得て府下を徘徊し、開明の今日、猶七つの醜風俗を見て慨嘆すること左の如し

続いて7つの「醜風俗」を順に挙げていく。まず1つ目をみてみよう。

日本橋々畔、その他衆人馬車人力の常に雑沓する所には、車夫七八人つゝ■〔紙面コピーの精度が悪く判読不能〕を為して往来を遮り、袖を執り袂を曳て客に強ひて、旦那の往く所に従はんとて、一町或は半町も追掛け、而して客乗らずといへば、空く又元の橋畔に戻り、剰へ悪口雑言其言聞くに忍びずと、既に昨日、新橋鉄道館の近傍に於て此の如き者ありたりと或人の吐し、是醜の一なり。

人力車夫は、この頃の東京府下に数万もいたと言われる(齋藤俊彦『人力車』クオリ、1979年)。車夫の強引な客引きは当時の社会問題でもあり、中塚に限らずいろいろな投書(とくに小新聞)が苦情を述べていた。

ともあれこういった調子で中塚は「醜風俗」を挙げていくのだが、すこし切りがないので、以下箇条書きに抜き書きする。

2.「売卜者」「人相見」が「種々の功能を述べ」、「愚夫愚婦」を「狂惑」せしむる
3.呼び売りの「流行歌」等、その内容は国家や世の人物を誹謗して公然たり
4.「老婆少年」が道端に座り、「破れ三弦」で「浄瑠璃」や「端唄」をうたって「往来人の投銭」を乞う
5.「法華講」と称し「男女老幼数十人」が「隊を結んで」「団扇太鼓を鳴らし」「往来を妨却」
6.「別当」〔馬丁〕が主人の馬を乗りまわし往来を妨げる
7.「頭髪の制定」が無いも同然で「髷を曲る」「一つ土竈」「藪医の如き者」「山伏の如き者」あり

さながら東京の風俗一覧といった様相である。中塚はこうして7つの「醜風俗」を挙げたのち、次のように述べる。

嗚呼斯る開明の世にして又斯る醜風の所行あるは、愚と云て可ならんか。殊に今日外国人民に対しても国家の恥辱を顕はし、実に切歯の次第に非ずや。

東京にやってくる外国人の視線を意識し、江戸時代以来の風俗を強制的に改めようとしたのが文明開化である。そして民衆の風俗を現場で取り締まったのが、巡査をはじめとする警察だった。

中塚は1877(明治10)年の官員録で「警部」と記録されているが、この投書の冒頭で「公暇を得て」と記していることから、この時期にすでに警察と何らかの関わりがあったようにも思われる。そして風俗取り締まり意識の強さが、中塚をしてこれらの投書を書かせたのではないだろうか。

参考資料

官員録

中塚に関する情報は、以下の職員録一件のみ。

『青森県職員録』(明治10年4月、伊藤祐胤)
 第四課 青森警察署詰「十等警部 中塚常 宮城県」
 ※所蔵:「国立国会図書館デジタルコレクション」

投書一覧

  1. 『郵便報知新聞』1874(明治7)年6月20日
    無題(渡河で日銭を稼ぐ旧弊)
  2. 『郵便報知新聞』1874(明治7)年7月12日
    無題(府下醜風俗7態)
不明

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