投書者file.001:芝大助

略歴

芝大助は、東京・池之端仲町の薬商、平民。生没年不詳。江戸時代から代々薬を商っていたらしい。

投書

芝の投書は2件ある。最初の投書は、1873(明治6)年6月15日の『東京日日新聞』に掲載されたもの。

私が販売している「錦袋圓」という薬は、何年か前には売れ行きが落ち込んでいたが、いろいろ努力して薬の「調製」を工夫した結果、薬の効き方も改善し、最近は大いに売れるようになった。

という投書。文明開化の時代にあって、何事も努力次第で変わってくる、という含意がある。この時期の投書には、さまざまな事例を示しながら、このような(広い意味での)「立身出世」を説くものが多い。

2年後の1875(明治5)年2月9日に、同じく『東京日日新聞』に掲載された投書は、上の投書とはまったく異なる内容で、同年1月20日の『東京日日新聞』掲載の記事に関連した投書。その記事は、

「武州秩父郡浦山村」で、ある農民の父親が山深く分け入り、木を切っているとき、ふと後ろを振り返ってみると「大きさ1丈4、5尺」(4~5メートル)もある「蟒蛇」(うわばみ=大蛇)が松から垂れ下がって「己れを呑んとするゆえ」、驚いて逃げたが追いかけてきた。

といった内容だった。これを読んだ芝大助が、雇い人から以前聞いた話を思い出して投書したのだろう。

雇い人が薬の「巡売」をしていた1874(明治7)年、「上州(群馬県)甘楽郡小幡」の「長巌寺」で「奇品」を見た。寺の裏山は「石山」で、1873(明治6)年に富岡製紙場御用で石屋職人が石を切り出していたところ、山の中腹に洞窟をみつけた。そのなかに大きさが「醤油樽」ほどの蛇の頭の古骨があって、おそらく5、600年ほど前のものだという。それがこの「奇品」である。こんな話があるので、秩父の大蛇も作り話ではない。

「醤油樽」も調べてみるといろいろな大きさがあるので、この時代の標準サイズは分からないが、かなりの大きさだったのだろう。内容自体は他愛もないが、この投書が掲載されたのは自由民権運動が全国に広まりつつあった時期であり、次第に政治的な内容の投書が増加するとともに、このような牧歌的な投書は影をひそめていくことになる。

参考資料

『明治新聞雑誌関係者略伝』

「芝大助」の項があり、次のように記載されている。

明治10年4月創刊の『医範新説』桜南社社長。この雑誌は同年11月第16号で終刊。(98ページ)

なお公開初回であるので記しておくと、この『略伝』には、 本名だけでなく筆名や号も記述されており、 同時代のジャーナリスト調査必携の書である。しかし索引がないことが致命的な欠点だった。ところがこれを国会図書館がデータベース化して、今では号も筆名も同図書館の「リサーチ・ナビ」から検索できるようになっている(ただし本文は閲覧できない)。芝大助が知ったら目を丸くするだろう。

※書誌情報:宮武外骨・西田長寿(1985)『明治大正言論資料 20 明治新聞雑誌関係者略伝』みすず書房

『大日本商人録(東京之部)』(1880年)

「薬商」の項に芝の名があり、住所は「下谷区池之端仲町廿三番地」となっている(171ページ)。

『大日本商人録』は商売の便のために編纂された人名録。2万人ほどの商人の名が業種ごとに分類されて掲載されている。「横浜之部」もある。ちなみにこれはデータベース化されていないため、氏名は検索できない(以下の資料も)。

※所蔵:「国立国会図書館デジタルコレクション(大日本商人録. 東京之部)

『東京府区町総代人名録』(1877年)

芝の名は、「第四大区六小区 町総代人」の項目にある。この文書の注釈には、1段目の○印は「区総代人」、2段目の無印は平民とあり、芝はこれに該当する。薬を商うかたわら、芝は町内の人望も得ていたようだ。

※所蔵:「国立国会図書館デジタルコレクション(東京府区町総代人名録)

『読売新聞』1878年3月20日広告

「小(こ)新聞」の『読売新聞』に、「売薬社会同盟稟告」という題で30名ほどの薬商の連名広告が掲載されており、ここに芝の名もある。この広告には、次のような寄付を募る一文が記載されている。

(概要)最近の新聞によれば中国は大飢饉となっている。日本は中国と古くから交流があり、また隣国でもあるので、これを見過ごすことはできない。そこで広く寄付を集め「隣邦の信義」を尽くしたい。

有志が集まって広く世に訴える広告は、今日でも「意見広告」として目にすることがあるが、この時代の新聞にもすでに散見される。

連名中には、芝の投書に登場する「守田治兵衛」の名もみえる。守田の住所は「池之端仲町」、芝と同じ町内であり、二人は親交があったのだろう。守田治兵衛はこの時代の有名人であり、今日までその名が伝えられている。いずれ紹介するが、新聞への投書もある。

『医範新説』(1877年)

上記の『明治新聞雑誌関係者略伝』で示されていた雑誌。創刊号の「緒言」に、次のような発行の趣旨が述べられている。

(概要)日本の近年の医学は一変し、「漢」から「洋」へ移った。そのため西洋医学の書物が次々に輸入されている。しかし僻地にある者、都市在住でも多忙な者、また貧しく学資のない者はそれらを読むことはできないだろう。そこでそうした書物のなかでも重要なものを翻訳して発行することとした。医者を志す者だけでなく、薬局を営む者にも有益であろう。

芝大助は、進取の精神と義侠心に富む人物であった。

※所蔵:「慶應義塾大学メディアセンター デジタルコレクション」内の「富士川文庫(古医書コレクション)

投書一覧

  1. 『東京日日新聞』1873(明治6)年6月15日
    無題(薬の「錦袋圓」について)
  2. 『東京日日新聞』1875(明治8)年2月9日
    無題(秩父山中の大蛇について)
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