コレラ編#03:高山登
今回も前回に引き続き、コレラに関する投書を紹介する。
<コレラ編のこれまでの投稿>
コレラ編#01:政府布告等
コレラ編#02:菊地一以
目次
略歴
投書者の高山登の経歴は不明。ただし今回紹介する投書のあと、横浜毎日新聞の10月10日と13日に、裁判にかんする長文の投書が掲載されており、法律を学ぶ書生、あるいは官員だった可能性はある。
投書
『横浜毎日新聞』1877年10月2日
この投書には見出しはないが、投書者の氏名が冒頭に掲げられている。投書は、政府のコレラ予防についての現状分析から始まる。まず官公庁では、官員の家族に患者がいるときは当面のあいだ、あるいは「十日間」の「出仕」(登庁)を禁止しているという(これは現在の新型コロナウイルス感染者およびその家族への対応とほとんど同じだろう)。
在東京 高 山 登
虎列刺病の勢力を我社曾に張んとせしより、政府は種々の方術を設けて之を豫防せんと欲し、或る官省に於ては、其家内に病者あらば當分出仕を差止め、或る局に於ては、病者あらば十日間の出仕を許さゞる等の達ありしと云ふ。
しかしそれだけではない。警官が患者の家の門前で人の出入りを止めたりもしているという(これはかなり徹底的である)。こうした対応によって、コレラの「惨毒」をある程度免れる「幸福」に浴しているのだという。
而して警察官吏は病者ある家の門前に立ち、他人の出入を制し、各處の病院に於ては豫防の藥剤を安価に売却せらるゝ等の事あるに依り、我等人民は之が為め幾分か虎列刺の惨毒を免るゝの幸福を得たり。
では以前はどうであったか。昔はコレラが全国に蔓延し、「死者数千人」にもならなければ、コレラが流行していることに気付かなかった。さらにコレラ流行を知ったとしても、コレラを防ぐ手段を知らなかったのであり、これは「欧米諸國」も同様であったという。
試みに之を往時に回視すれば、病毒已に全國に蔓延し、死者数千人の多きに至らざれば、人未だ虎列刺病の流行するを知らず、之を知るも、只其の恐る可きを知て、之を豫防するの方術を知らざりし、蓋し我國のみ然るに非ず。欧米諸國も亦此の如くなりしなり。
しかし今はコレラの性質や感染経路についても分かってきているので、昔に比べれば感染予防法も進んでいる。
今や我人民は、已に其身の貴重すべきを知ると、其病毒の如何なる者にして如何なる所よりして人身に感染するかを知るが故に、之を豫防するも往時に比すれば亦深しとす。
このことは、病院や薬局で「売却」された「藥量」(石炭酸などのことだろう)の多さからも知りうる。横浜でコレラが流行してから20日以上経つが、コレラの「増殖」の兆しはない。
近日以來、東京各病院と各藥舗にて売却せし藥量の多夥なるを以て知る可きなり。嗟〔ああ〕、夫れ我が警察官吏と人民と豫防に力を盡すことの深く且切なるが爲めに、虎列刺も其勢力を十分にする能はず。
我輩が横濱の伝染を聞しより巳に二十餘日を過れども、格別増殖の兆候あるを見ず。是れ亦人民の自護と官吏の保護との功にあらざるなし。
だが東京について不審に思うのは、「糞尿」と「塵芥」の掃除である。日中に掃除をして担いで歩くため、その「悪臭」に皆が「鼻を蔽て」いる。
然り而して我輩が獨り東京に怪む所ろの者は、糞尿と塵芥の掃除なり。白日街上を擔き去り悪臭を満街に散布し、行人をして爲めに鼻を蔽て過ぎしめ、警察官吏も敢て問はず、同じく鼻を蔽て立つのみ。
一方で家の中での予防方法は、「厠」(便所)の「臭氣」を絶つことが最も重要とされている。公衆便所などでも同様の対応が行なわれているため、やはり「臭氣」はない。
而して近日各家の豫防方を見るに、盡く厠の臭氣を遏〔とど〕むるを以て傳染を防ぐの第一となせり。故に各所の街傍に在る便所の如きも藥剤を投じて防ぐ爲に全く臭氣なく、且つ東京府警視庁の屡ゝ諭達ありしを以て、各自家の厠に於けるも概ね藥剤を用て其臭氣を防げり。
にもかかわらず、日中に「糞尿」や「塵芥」を担いで持っていくことについては、「東京警視の両庁」(東京府と警視庁)は問題としない。これが私が不審に思う点である。
而して街上を擔ぎ去るの一點に於ては、東京警視の両庁もこれを問ふ所なし。是れ我輩の獨り怪む所なり。
以前聞いた話では、横浜は「糞尿の掃除」を「夜間」に限定しているため、日中に「臭氣を布散」する心配はないという。
嘗て聞く、横濱は己に四五年前より糞尿の掃除を以て全く夜間の事となしたるに依り、白日街上に臭氣を布散するの憂な〔し〕と。
なぜ「我東京」ではこの方法を採用しないのか。今のままでは、家の中では感染しないようにし、家の外で感染するようにしているようなものではないか。
我東京は何ぞ此方を用ゆる能はざるや。若し今日の如くにして問はずんば、是安ぞ内に感染を防て外に感染を求むるに非ざるを得んや。
いくら文書で「諭達」しても効果はないだろう。薬剤をいくら売っても、路上の臭気は防ぎようがないだろう。私は「東京警視両庁」が問題視しないことを不審に思う。そのためこの雑文を書く。
諸官諸局如何に諭達をなすも、恐らくは其効を全ふする能はざらん。各病院各藥舖故〔こと〕さらに安價を以て豫防の藥剤を売るも、街上に布散する病毒、如何ぞ之を防ぐを得ん。我れ東京警視両庁の問はざるを怪むなり。爲めに此の蕪言を草す。
投書は以上である。
この時期、「公衆衛生」という概念が欧米からもたらされ、日本にも広まりつつあった。コレラの流行は「公衆衛生」概念の浸透を促進しただろう。前回の投書で指摘されていたが、東京では「厠」の掃除は日中行なわれており、それがこの高山の投書でも問題視されている。些末なことではあるが、こうした投書も、「公衆衛生」の考えが広まってきていることを示しているのだろう。
だがその傍らで、「厠」を掃除する者たちがコレラなどの伝染病に感染するリスクは、どれほど顧みられたのだろうか。すくなくともここまで紹介した投書では、何らの顧慮もない。それは明治という時代の一面を示しているようにも思われる。
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コレラ編#02:菊地一以

