コレラ編#02:菊地一以

前回に引き続き、コレラに関する記事・投書を紹介する。今回からは投書が続く予定。

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コレラ編#01:政府布告等

略歴

投書者の菊地一以にかんしては、残念ながらまったく情報がない。しかし投書の内容から、おそらく医師あるいは官員であったと推測される。

投書

『郵便報知新聞』1877年9月25日

投書は、郵便報知新聞に掲載された広告(社告)についての言及から始まる。その広告は、コレラへの良い対処法を投書してくれれば、すぐに掲載するという内容だった。

○過日貴社新聞誌廣告に曰く、近頃コレラ流行に依り、苟も人を濟ひ己れを利するの發明良方あらば速に廣く天下に布るゝ様有たき故に、是等に係るの投書あらば直に刊刷して衆の為めにせんと欲す云々。貴社の厚志、是亦感服の至なり。

菊地はその「厚志」に感じ、「米国大医セメンズ氏」から聞いた話を「一咋日」投書したという。

余既に一咋日、横浜在留の米國大医セメンズ氏より親しく傳聞する所の説を掲げて貴社に投ず。其説に曰く、コレラ予防の方法は、既に衛生局及警視局等より諭達ありて、其法至れり尽くせり。

菊地が投じたという投書は、おそらく3日前の9月22日の紙面に掲載された記事である(当時の新聞では投書が記事として掲載されることが多かった)。記事には投書者の氏名がないが、「セメンズ先生」の話が掲載されている。その記事は、横浜の「避病院」(コレラ患者を収容する病院)の周囲の田畑を買い取って人が不用意に病院に近寄らぬようにしたことや、「劇場〔しばい〕寄席観世物」などの「人寄せの場所」への立ち入りを禁じたことなどを伝えている。

なお「セメンズ先生」は、当時の著名な医師。「コトバンク」には次のような説明が掲載されている。

シモンズ(英語表記)Simmons, Duane B.
(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説)
[生]1834
[没]1889.2.19. 東京
アメリカの医療宣教師。安政6 (1859) 年来日,翌 1860年開業医となり横浜で診療を行なった。明治3 (1870) 年大学東校 (東京大学の前身) の教師。1873年から十全病院に勤務し,1877年のコレラ流行のときは,防疫の指導と協力を行なった。駆虫薬「セメンエン」を調剤したので,セメン先生といわれた。福沢諭吉の親交を得て慶應義塾内に居住し,日本の歴史研究も行なった。
(出典)コトバンク(シモンズ)

投書に戻る。菊地はしかし、せっかく注意喚起しても人々が意に介しない以上、自ら注意しなければならないと述べる。

然れども、世人絶て意とせずして、其害たるや大なる者あり。人々自ら注意して他の害を防がすんばあらず。譬ば風烈の日、塵挨を防がん爲め、我が戸外に灌水するも、隣家は灌水せざれば、其塵我が家に飛来り、我戸外に悪臭物を置けば、其臭氣隣家に及すが如く、不知不識、害を他に及ぼすもの不少故に、左の件々は各注意ありたし。

そしてコレラはとくに排泄物などを介して感染することが多いため、「混堂」(湯屋=銭湯)や「厠」「糞船」などでの汚物の扱いについて、次のような「注意」を促している。

混堂の湯を抜去るは、夜間十二時過、人行絶ゆる時にすべし
厠の汲出は、早天人の起きざる時に持去り、人行のある時刻には必負擔通行を禁ずべき事
但糞船も之れに同じ
多人数集合の厠は毎日汲取、毎二時間に緑礬〔りょくばん〕水(緑礬八匁水一升)を少許づゝ、厠に灌くべし。石炭酸水は最も佳なり。然れども緑礬水は價廉にして便なり
牧畜場(小鳥部屋に至るまで)は最も清浄にして前法の藥を灌くべし

また腐った果物がコレラを媒介することもある。そのため果物の売り方にも注意するように述べている。

食物売買、殊に果物を売る者は別して注意すべし。未熟の果物を箱中に数日貯え、熟さしめて鬻〔ひさ〕ぐは日本の風習なれども、素人の鍳定〔計算ほどの意か〕最も難ふして、其害たる實に大なり。   菊地一以

とはいえ、「厠の汲出」や「果物」の販売は、当時のことばでいえば「其日暮らしの者」の仕事であり、郵便報知のような士族や豪農・豪商向けの大新聞に注意が掲載されても、それがはたして彼らにどれだけ伝わったのか、そして菊地はどのような意図でこれを投書したのか、不明に思うところもある。

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