投書者file.020:金浦正弘

略歴

金浦正弘(かなうら・しょうこう)は真宗大谷派の僧侶。石川県平民。生没年不詳。

投書

金浦正弘の投書は一件。日本は「自由信教」となったにもかからわず、鹿児島県では「佛道」の禁止が認められている。その理由を問うた投書である。投書の構成はシンプルである。今回も全文を引用する。

『朝野新聞』1876年1月17日

かつて私が明言したように、信教の自由は、政府が制約するものではない。政府が大教院を廃止し、「教法」を自由に「遵奉」できるようになったことは喜ばしいことである(大教院については、「投書者file.012:石上暁了」でも少し触れた)。

○宗教の信不信、共に人民の自由に出でて、政府の之を抑裁するものにあらざるを以て、我輩は嘗て其非理なるを明言したりしこと有りき。殊に真宗の教正は先きに分離を称え、論議を尽せしところ、幸に我が政府大教院を解散し、混教の管束を廃止せられしより、人民其信仰するところの教法に帰着し、法律に違背せざる以上、自由に之を遵奉し得るの地位に至りしは、實に我が政府の法制、我輩人民を保庇するの厚きと歓喜せざるを得ず。

しかし、この「自由信教」のもとにあって、「鹿見島縣の信徒」は東京本願寺に哀訴している。

斯くの如き自由信教の法制あるに際し、我輩人民に於て、猶この信仰の事に係り悲歎哀訴の聲を聴出したるものあり。鹿見島縣の信徒、東京本願寺に來り、哀訴苦情を告げしもの即ち是なり。

信徒らは、鹿児島県庁が県内での真宗の布教を認めてくれない、と訴えているという。

この悲歎苦情を告け來りしは、蓋し客年十月にて、該縣平民某なる者及び他の同志、兼て本縣に於て弘教者を招き、法義を宣布せんことを希望したり。該地は旧藩の時代より、寺院僧侶を廃止し、其跡を絶つと雖も、人民思想の信仰は猶絶つ能はざるを以て、維新爾來、信徒より屡ば之を鹿児島縣に悃願す。縣庁、其情願を容さざりしより、遂に抑鬱怨望するもの有りと言へり。

この話が信頼できるものだとすれば、「自由信仰の法制」になんらかの問題があると言わざるをえない。

若しこの説をして信ならしめば、其信教の熱心なる、又以て憫然とす可きもの有り。而して本願寺に於ては如何なる處断を加へしやは、我輩其始終を知る能はざれども、宗教に帰依する人民の自由信仰を抑束するに似たると言ふを伝聞するに至りては、我輩は之を目して自由信仰の法制に一点の疑雲なしといはざるを得ず。

じつは鹿児島県の「大山縣令」(県令は現在の知事にあたる)の文書について伝え聞いたが、その文書の内容に疑わしい点がある。

抑も鹿児島縣に於ては、何故に佛道を禁絶し弘教を抑止せるや。賢明の聞へある大山縣令にして之を裁制し給ふなれば、固より其妙手段有らんは我輩の得て知るところあらざれども、客年九月教導の儀に付、大山縣令より権大教正石井大宣への回答書の旨を傳聞するに拠り、少しく疑なき能はず。

その文書には、鹿児島県には「佛道」の信者がいないため、佛道を認めれば行政上差し支えがある、といったことが書かれているという。

其文に日く、縣内の人民、一人も佛道に帰依する者なく皇道一般にて、神官の諸氏三條の教憲に基き、力を説教に尽すの央〔なかば〕なれば、今之に佛道を混ずるあらば、人心の方向を失し、地方官に於て行政上差支へ云々。

これが事実であれば、なぜ哀訴する信徒がいるのか。「疑点」である。

若しこの説の真実ならば、該縣下に佛教を信仰するもの無かる可き也。然るに今縣下に某等の如き悲歎哀訴するものあるは果して何ぞ。縣下の人民一人も佛道に帰依するなしと保証せらるるは、我輩の窃に疑点とするところなり。

さらに、「佛教」は「教部省」が「所管保護」しているにもかかわらず、鹿児島県ではそれが行政上の差し支えになるとは、まったく解せない話である。

且つ佛教を説けば人心の方向を失し、行政上差支あると言ふに至ては、巳に日本帝國に於て神道の外七宗あり、教部省之を所管保護せり、該縣にのみ政治の差支となり人民の方向を失ふとは、亦解す可らざるの説なり。抑も日本政府に於て、信仰自由を許可し給ふ上は、該縣の人民、亦信仰自由を得可きに非ずや。

政府はわれわれ「人民の権理」を保護することに「汲々」としているというのに、「西陬の一縣」のみ「信仰の自由」を許可しないことには、いったいどんな理由があるというのか。「世の識者」よ、私に大山縣令の「深意」を教示してほしい。

我輩は疑点ここに雲集して解散するところを知らざるなり。今や日本政府は我輩人民の権理を保護するに汲々たり。然るに西陬の一縣、獨り信仰の自由を許さざるものは、何等の原因ぞや。我輩今其の原因を問はんと欲す。世の識者、幸に我輩に向て大山縣令の深意の在る所を教示せられよ  東京湯島天神町二丁目寄留 金浦正弘

以上、伝聞にもとづくものではあるが、鹿児島県における仏教禁止について論理的に疑問を呈した投書である。しかし金浦自身、僧侶であり当事者でもあるためか、投書の最後には怒りを感じさせる書きぶりになっている。

それまで「鹿児島縣」と述べていたのを、最後には「西陬の一縣」(西の果てにある一県)と言い換えたり、県令の「深意」(投書の中盤には「賢明の聞へある」とも述べていた)と皮肉とも取れるような言い方をしているあたり、薩長藩閥政府(わかりやすくいえば鹿児島県と山口県が牛耳る政府)を間接的に批判しているとするのは、かならずしも金浦の「深意」を深読みしすぎているとはいえないだろう。

参考資料

各種人名事典

『新訂増補 人物レファレンス事典 明治・大正・昭和(戦前)編Ⅱ あ~す』には、次のように記されている。

金浦 正弘 かなうら しょうこう
生没年不詳 明治期の僧侶。
¶真宗

ここで参照されている「¶真宗」とは『真宗人名辞典』であり、管理人がこの辞典を調査したさい、次のようなごく簡単なメモを取っていた。

1873年大谷派寺務所役員表の発表で、掌儀に任命される

※出典:日外アソシエーツ編『新訂増補 人物レファレンス事典 明治・大正・昭和(戦前)編Ⅱ あ~す』、2010年
※出典:柏原祐泉・薗田香融・平松令三監修、赤松徹真ほか編『真宗人名辞典』法藏館、1999年

『婚姻新論 初編』(1878年)、『婚姻新論 2編』(1879年)

翻訳書である『婚姻新論』の「校正出板人」として、金浦正弘の名が記されている(翻訳人は木村宗三)。「校正出板人」とは、現在の「監修者」を指すらしい(つまり翻訳者より立場が上)。また金浦の族籍は「石川県平民」と記されている。

※所蔵:「国立国会図書館デジタルコレクション(アレック・マイエー著『婚姻新論 初編』
※所蔵:「国立国会図書館デジタルコレクション(アレック・マイエー著『婚姻新論 2編』

投書一覧

  1. 『朝野新聞』1876(明治9)年1月17日
    無題「鹿児島県における仏教禁止について」
三重

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